日奈久温泉
のんびりとした空気が流れる開湯600年の温泉街
温泉神社からの眺め
日奈久港から山へ向かい、日奈久温泉街を歩く。5分もかからず、薩摩街道と交差する中心に到着。日奈久温泉センターばんぺい湯が角に立っている。ばんぺい湯は「晩白柚(ばんぺいゆ)」にかけた名称だ。晩白柚は日奈久温泉がある熊本県八代市特産の世界最大級の柑橘類。ザボンの一種で直径が20cm、重さ2kgほどになるという。12月半ばから3月くらいにかけて収穫される。その時期は日奈久温泉では晩白柚を入れた温泉を楽しめる。ばんぺい湯から山へと向かうとすぐに鳥居が現れる。その先の石段を上がると山の中腹に温泉神社が鎮座している。日奈久温泉の開湯は室町時代の1409年(応永16)とされる。その10年ほどのちに、現在のばんぺい湯の辺りに弁天社が建立されたが、1784年(天明4)の大火で焼失。1822年(文政5)に現在地に社殿が築かれ、明治時代から温泉神社の名称となった。境内からは日奈久温泉と海が見渡せる。まずはここから町を眺めてみるのもおすすめだ。
親孝行の息子が発見した温泉
温泉神社には日奈久の地名についての解説版もある。日奈久と呼ばれるようになったのは室町時代。その前は火流浦(ひながうら)と呼ばれる小さな漁村だった。日奈久は「波が静かな岸辺の平らな地で砂や砂礫に覆われたところ」という意味だとされる。開湯には、こんな伝承がある。肥後国菊池郡(現、熊本県菊池市)を本拠としていた豪族、菊池家の家督争いで敗れた側の家来だった浜田右近という人物が傷を負い、日奈久へ敗走した。右近はこの地で結婚し、六郎左衛門(ろくろうざえもん)が誕生。六郎左衛門が18歳のとき、父の傷を治すため願をかけたところ満願の夜に、仏教では弁財天として知られる女神「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」が枕元に現れ、干潟に温泉が出るとのお告げがあった。そのとおりに干潟を掘ると温泉が湧き出し、父を入浴させると傷が治ったという。親孝行の六郎左衛門が発見したので「考感泉(こうかんせん)」とも呼ばれる。市杵島姫命は温泉神社に祀られている。
動きたくなかった山頭火
日奈久温泉にゆかりのある人物として、放浪の俳人種田山頭火がいる。山頭火の碑は、いこいの広場に立ち、彼の言葉が刻まれている。山頭火が日奈久温泉を訪ねたのは、1930年(昭和5)の9月10日、48歳のときだった。それまでも山頭火は托鉢僧のような行乞(ぎょうこつ)の放浪旅に出ているが、このときも酒で失敗し九州各地へ行乞へと旅立っている。「愚かな旅人として放浪するより外に私の生き方はないのだ」(『山頭火 日記(一) 山頭火文庫5』春陽堂)と前日9日に記した彼は、「重い足をひきずつて日奈久へ」やってくる。そして「温泉はよい、ほんたうによい、こゝは山もよし海もよし、出来ることなら滞在したいのだが、──いや一生動きたくないのだが」と10日の日記に綴る。11日、12日と滞在した山頭火は13日の朝、日奈久温泉から南へと旅立った。山頭火は各地の温泉街に足跡を残しているが、「一生動きたくない」と率直に書いた温泉地は珍しいのではないだろうか。その言葉にも日奈久温泉の魅力は凝縮されているのである。
スポット詳細
- 住所
- 熊本県八代市日奈久中町516 日奈久温泉観光案内所 地図
- エリア
- 八代・宇城・上益城エリア
- 電話番号
- 0965380267
- 泉質
- アルカリ性単純泉等
- 効能
- 神経痛、筋肉痛、関節痛、疲労回復、冷え性、打ち身、切り傷、美肌等
- 泉温
- 39-49℃
- 源泉数
- 16
- 湯量
- 70-190リットル/分
- 共同浴場数
- 18
- 日帰り温泉施設数
- 3
情報提供: ナビタイムジャパン