安久津八幡神社
歴史と静寂に包まれた置賜エリア随一の古刹
山形県唯一の三重塔
山形新幹線の停車駅でもあるJR高畠駅からは車で約20分。「道の駅たかはた」のすぐそばにある狭い道を抜けたところにたたずむのが、安久津八幡神社だ。860年(貞観2)、慈覚大師 円仁(じかくだいしえんにん)が、豪族安久津磐三郎(あくつばんざぶろう)の協力で阿弥陀堂を建てたのが始まりといわれている。その後の平安後期、奥州平定のために源義家が戦勝を祈願して鎌倉鶴岡八幡を勧請したと伝えられているが、これについては定かではない。敷地内を進むと、苔むす石畳参道の入り口に山形県唯一の三重塔が姿を現す。参道途中には舞楽殿(ぶがくでん)、その奥に本殿がある。舞楽殿は室町末期のものといわれ、方一間宝形造(ほういっけんほうぎょうづくり)(4つの屋根がすべて三角形)という独特の様式で建てられている。本殿は三間社流造(さんげんしゃながれづくり)。神社建築の様式で最も一般的で、正面の柱が4本、柱間の間口が3間ある。いずれの建物も、屋根は茅葺き。この3種の建造物は山形県の指定文化財となっている。
数々の伝説も残されている
境内には、鐘つき堂・流鏑馬(やぶさめ)的場跡などがあり、裏山一帯には、安久津古墳群十数基が点在している。そのほか奥の院の洞窟などがあり片葉の葦(あし)、爺婆(じじばば)石、弘法清水などの伝説も残っている。たとえば「片葉の葦(かたはのあし)」は11世紀後半の後三年の役(ごさんねんのえき)で、主力となった源義家(みなもとのよしいえ)の家臣である鎌倉権五郎景政(かまくらごんごろうかげまさ)が敵の弓矢で片目を射抜かれ負傷。凱旋の際にこの神社に立ち寄り、弘法水(こうぼうみず)で眼を洗ったあとに、片葉の葦が生えるようになったという。
周辺は歴史公園
神社の歴史についてより詳しく知りたい場合は、「高畠町郷土資料館」を訪れるのがおすすめ。安久津八幡三重塔をはじめ、1万年以上前の日向洞窟(ひなたどうくつ)や亀岡文殊堂(かめおかもんじゅどう)など、数多くの遺跡と史跡をもつ町のさまざまな展示が楽しめる。そのほか、「山形県立うきたむ風土記の丘考古資料館(やまがたけんりつうきたむふうどきのおかこうこしりょうかん)」では、米沢市や高畠町などを含む置賜地方の縄文時代から古墳時代までの歴史に触れることができる。「うきたむ」は、日本書紀に表れる置賜の古い地名が由来だ。特に、6000年前の押出遺跡(おんだしいせき)から出土した「彩漆土器(さいしつどき)」は必見。古代史好きの人であればぜひ訪れてみたい。
スポット詳細
情報提供: ナビタイムジャパン