水島

万葉集や枕草子の題材にもなった景行天皇の巡幸伝説にまつわる由緒ある小島

球磨川(くまがわ)の河口にある水島は長い歴史をもち、不知火(しらぬい)と呼ばれる自然現象とともに国の名勝に指定されている。また、そのすぐ隣には龍神を祀る小さな社がある。

東西約93m、南北約37mの水島} 東西約93m、南北約37mの水島

古くからの言い伝えがある島

水島は、八代市を流れる球磨川の河口に位置する小さな無人島。この島の歴史は古く、『日本書紀』には「景行天皇がこの地で休息した際に、飲み水がなかったので小左という者が神に祈りを捧げたところ、たちまち清水が崖のほとりから湧き出し、その水を汲んで天皇に献上した。そのためこの島を水島というようになった」との記述がある。その後、景勝地として知れわたり、『万葉集』には水島を詠んだ長田王(ながたのおおきみ)の歌が収められている。なお『日本書紀』に記された湧き水は現在枯れている。水島は河口に位置するため、満潮時は島に見えるが、干潮時にはほぼ陸続きになり、それぞれ異なる趣を見せてくれる。

水島のすぐそばに浮かぶ御大典之碑} 水島のすぐそばに浮かぶ御大典之碑

干潮時には水島のすぐそばまで行くことができる} 干潮時には水島のすぐそばまで行くことができる

水島という名前の由来や『万葉集』に収められた歌の説明がある} 水島という名前の由来や『万葉集』に収められた歌の説明がある

水島とともに知られる不知火

水島とともに有名なのが不知火だ。不知火とは、旧暦の8月1日前後の夜間に見られる怪現象で、海岸から数kmの沖に無数の光が明滅する。これは蜃気楼の一種であり、水島周辺の八代海で月のない夜に気温や天候などの諸条件がそろったときに現れる。この現象により八代海は不知火海とも呼ばれる。古くは不知火を「龍神の灯火」と呼び、近辺の漁師たちは不知火の見える日に漁に出ることを禁じられたそうだ。現在では時期になると、多くの人がこの現象を見るためにこの近辺を訪れる。2009年(平成21)には不知火と水島が合わせて国の名勝に指定された。

堤防から橋を渡って龍神社に向かう。その奥に水島が見える} 堤防から橋を渡って龍神社に向かう。その奥に水島が見える

河口に浮かぶ社殿の青い瓦屋根が目を引く

水島のすぐ隣に龍神社という小さな社がある。球磨川の堤防から社に向かって橋が架かっており、歩いて渡ることが可能。夕方には、夕日の赤と社殿の瓦屋根の青のコントラストが美しく、近隣の人たちだけでなく観光客も訪れる人気スポットになっている。この社は1856年(安政2)に「水島の守護神」として堤防より陸側に祀られていたが、1961年(昭和36)の堤防の改修工事により現在地に移築された。ご利益として豊作祈願や商売繁盛、家内安全、無病息災、家庭円満、子孫繁栄などがあるといわれるので、水島を訪れた際には参拝しよう。専用の駐車場はないが、近くにある万葉の里公園の無料駐車場を利用できる。

堤防から海の上を歩いて社に向かう} 堤防から海の上を歩いて社に向かう

歴史ある島を守るために堤防の形が変えられた

干潮時には、ハゼや小さなカニなど干潟ならではの生き物が顔をのぞかせるのも興味深い。堤防から降りて龍神社へ向かう橋を渡ると、はさみを天に掲げながらリズミカルに体を振るカニたちを間近で眺めることができる。江戸時代にこの周辺が干拓されたとき、当初は水島も干拓地に取り込まれる予定だった。しかし、由緒ある島を守ろうとする意見が上がり、結果として堤防は湾曲して築かれ、島は残されることとなった。この事例は文化財保護のさきがけともいわれている。

手水舎にも龍の石像がある} 手水舎にも龍の石像がある

スポット詳細

住所
熊本県八代市水島町 map map 地図
電話番号
0965334115

情報提供: ナビタイムジャパン

アクセス

map map 地図

最寄り

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