御靈神社(上御霊神社)
平安京が「平安」であることを願って創建された古社
荒ぶる魂を鎮めるために創建された
地下鉄・鞍馬口駅から上御霊前通を東へ歩いていくと堂々とした楼門が現れる。こちらが千年の歴史を誇る上御霊神社だ。門をくぐり、境内の中に入って行くとおごそかな空気が満ちあふれているのが感じられるだろう。創建は794年(延暦13)、桓武天皇が崇道(すどう)天皇の神霊を祀ったのが始まりで、現在は八柱が祭神として祀られている。これらの神々はいずれも奈良時代から平安時代にかけての政争の犠牲になり、非業の死を遂げた高貴な方々ばかり。天変地異や疫病の流行を鎮めるため、863年(貞観5)に神泉苑にこれらの御神霊を祀り行なわれた御霊会が現在まで続く御霊祭のルーツである。
御所の産土神として皇室との関わりも深い
神社は京都御所の北に鎮座していることから「御所の産土神」として皇室からも崇められ、神輿や牛車など皇室から贈られた品を多数所蔵している。毎年5月に行われる御霊祭(ごりょうまつり)では三基の神輿や御所車など約600名の参列者が町内や京都御苑を巡行する。豊かな木々に包まれ、鳥のさえずりが響きわたる境内を進んで本殿に参拝しよう。江戸時代中期に寄進された御所の賢所(かしこどころ)御殿を復元した建築には宮中の雅が感じられる。崇道天皇の御霊を鎮めたという神社の由緒から、不安や怒り、心の悩みを鎮めてくれるという。何かとストレスが多い現代社会において心強いご利益だ。
家督争いから11年続く戦乱へと発展
実はこちらの神社は室町時代の戦乱「応仁の乱」の勃発地としても知られている。境内にはかつて御霊の森と呼ばれる広大な森林があった。1467年(応仁元)1月18日、畠山政長(はたけやままさなが)はこの森に立てこもり、畠山家の惣領の座をめぐって子・義就と戦いを交えた。この争いは畠山家の内紛のみならず、室町幕府8代将軍・足利義政の将軍後継争いも複雑にからみ合って、幕府は細川勝元(ほそかわかつもと)の東軍と山名宗全(やまなそうぜん)の西軍に分かれ、以後11年に及ぶ争いが続いたのだ。さらに戦乱は京都のみならず全国にも飛び火し、室町幕府の弱体とともに下剋上の戦国時代へと突入したのである。神社の楼門付近と境内には勃発地であることを示す石碑が立てられている。日本の歴史にその名を刻む事件の石碑を見届けよう。
スポット詳細
情報提供: ナビタイムジャパン
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クチコミ
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- 氏神
- アヤメの仲間の中で一番早く花をつけることから「一初」の名がついたという。 根は民間薬で鳶尾根(えんびこん)といい、吐剤や下痢とされる。 俳句では、「一八」や「鳶尾草」が夏の季語である。 属名の Iris はギリシャ語で虹を意味する。 種小名の tectorum は「屋根の」という意味である。魔よけとしてかやぶき屋根に植えらた。
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- 氏神様
- 上御霊神社は、1月1日の元日は、終始ご参拝の方々で混雑しますが、1月2日の午前9時頃でしたら、参拝の方も少なくとても良かったです。また神社では、ご近所の方にもお会いして心が和みます。
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- 一初
- 上御霊神社は、794年(延暦13)崇道天皇を祀ったのが始まりだそうです。応仁の乱の発端となった場所で、石碑の表字は元総理細川護煕氏によるものだそうです。神社の外堀にはかつて杜若(カキツバタ)があったそうです。有名な尾形光琳の代表作「燕子花図屏風」でも、鮮やかな杜若が描かれています。しかし、賀茂川から京都御所に流れていた川も、やがて水がなくなり途絶えてしまいました。そこで杜若に似ていて湿地でなくても...
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