若宮大路
由比ガ浜から鶴岡八幡宮まで一直線に延びた参道
源頼朝が愛する妻の安産祈願に造った参道
鎌倉駅東口を出て前方に進むと突き当たる広いバス通りが若宮大路。北側には朱塗りの二ノ鳥居と大きな狛犬が目に入り、そのまま段葛を進むと鶴岡八幡宮、南は由比ヶ浜へと続いている。由比ヶ浜から鶴岡八幡宮までの全長は約1800mで、まっすぐに続く一本道だ。八幡宮の境内の高台から見渡せば、途中に3つの鳥居が並び、その先に由比ヶ浜の海が広がるのがわかるだろう。1180年(治承4)、鎌倉入りした源頼朝は鶴岡八幡宮を中心に町づくりを始め、1182年(治承6)には妻・北条政子の安産を祈願して、平安京の朱雀大路を参考に曲がった道を整備して若宮大路や段葛を造営した。鎌倉といえば「1192年・いい国つくろう鎌倉幕府」と覚えたものだが、考えてみるとその10年も前から頼朝は国作りに力を注いでいたことになる。鎌倉幕府成立年は現在いくつかの説があり1185年(文治元)が有力といわれるが、若宮大路造立年を考えてもこちらが正しいように思える。また、二ノ鳥居から始まる段葛は造営当時は海岸まで続いていたといわれている。
関東大震災で倒壊して生まれ変わった二ノ鳥居、三ノ鳥居
若宮大路にある3つの鳥居は災害によって何度となく建て替えられてきた。現在のものは1668年(寛文8)江戸幕府第四代将軍・徳川家綱に寄進されたものといわれる。石製の3つの鳥居は関東大震災で倒壊し、二ノ鳥居、三ノ鳥居は朱色に塗られたコンクリート造に建て替えられた。二ノ鳥居が鎌倉駅から八幡宮へ向かう参道の入り口なら三ノ鳥居は若宮大路の終点であり、八幡宮への入り口だ。三ノ鳥居は最も八幡宮に近く、つねに観光客で賑わい、休日には朱塗りの鳥居をバックに多くの観光客がカメラに収まる姿を見ることができる。
段葛には遠近法が使われている
若宮大路造営は源頼朝が直接指揮を執り肝いりで行われたが、特に段葛にはさまざまな工夫が施された。段葛には遠近法が用いられていて、二ノ段葛付近と三ノ鳥居付近では道幅が違っている。二ノ鳥居付近は約4.5mあるが、三ノ鳥居前の幅は2.7mほど。これは敵の目を欺くためともいわれており、二ノ鳥居から八幡宮が実際より遠く、距離が感じられるように設計されている。また、造営当時は西側からの攻撃に備えて道の高さも西を東側より少し低くするなど工夫を凝らした。現在、段葛の両脇の車道の先には鎌倉を代表する店舗が軒を連ね、着物で往来する観光客も見受けられ古都鎌倉の風情を感じるが、昔は戦に備えて造営されたのがよくわかる。
一ノ鳥居は別名「浜の大鳥居」
段葛を有し観光客の絶えない二、三ノ鳥居とは異なり、鎌倉駅から八幡宮とは逆の南に向かって歩くこと10分強。由比ヶ浜にいちばん近い一ノ鳥居は関東大震災で倒壊したあと、石造のまま再建された。一ノ鳥居は「浜の大鳥居」と呼ばれ、昔ながらの風情のまま鎌倉の町にしっくりとなじんでいる。また、日光東照宮・一ノ鳥居、八坂神社・石鳥居とともに「日本三大石鳥居」にも数えられ、国の重要文化財にも指定されている。
スポット詳細
情報提供: ナビタイムジャパン
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