衆楽園
岡山後楽園よりも先に完成した津山藩主の大名庭園
津山藩主の対面所としての役割も
鶴山公園(かくざんこうえん)の北へ約500mのところにある「衆楽園」は、津山藩2代藩主の森長継(もりながつぐ)が江戸時代の明暦年間(1655~1658年)に京都から作庭師を招いて造営した近世池泉廻遊式の大名庭園だ。1700年(元禄13)に完成した岡山市の「岡山後楽園(おかやまこうらくえん)」よりも先に完成している。家臣や他藩、他家からの使者を謁見するために使われていて、「御対面所」と呼ばれていた。また、藩主の私的な別邸「隠居所(いんきょじょ)」の庭園としても使われた。当時の敷地面積は約7万4700平方メートル、東西約256m、南北292mで、現在の3倍近くあったそうだ。1870年(明治3)に「衆楽園」と命名され、一般公開されたが、翌年の廃藩置県で多くの建物が壊され、規模も縮小された。名前も「偕楽園」となり、その後「津山公園」と改称されたが、1925年(大正14)に再び「衆楽園」になった。
庭の大半を池と曲水が占める
衆楽園は、京都仙洞御所(せんとうごしょ)を模したといわれる。東側には全長210mの「曲水」、南側は、海に見立てた池が雄大な景観をつくり、庭園の大半を占めている。霧島、中島、蓬来島、紅葉島の大小4つの島が一直線上に配され、池の周りには、余芳閣、迎賓館、風月軒、清涼軒といった建築が復元されて立っている。3つの島へは個性的な形の橋が架かっている。どこから見ても、池に映る島影が美しい。周囲の中国山地の山々を借景として構成してあり、春には桜、夏はスイレン、秋の紅葉、冬の雪景色と四季折々の美を楽しめる。早春の啓蟄(けいちつ)のこも焼き、観月会なども季節の風物詩として親しまれている。また、約1000株のスイレンの花で水面が覆われる光景は見事。津山の市街地のなかにありながら、静かで幽玄な世界を醸し出している。2002年(平成14)には「旧津山藩別邸庭園(衆楽園)」として国の名勝に指定された。大名庭園としては、岡山後楽園に次いで岡山県下で2例目。
津山出身の俳人を顕彰する俳句会を開催
「曲水」は庭園の水路のこと。曲水を流れる杯が自分の前を通り過ぎる前に詩歌を詠む宴を「曲水の宴」といい、平安時代に貴族などが盛んに行っていた。江戸時代の衆楽園の図面に曲水はないので、現在の曲水は、明治初めに造られたとみられる。廃藩置県で津山藩がなくなる前年の1870年(明治3)、最後の津山藩主松平慶倫(よしとも)の世継ぎ・康倫(やすとも)が主催して衆楽園で曲水の宴が開かれた。曲水の宴はこのときだけだったが、津山市出身で新興俳句の西東三鬼(さいとうさんき)を顕彰するために設けられた俳句賞「西東三鬼賞」にあわせて、1996年(平成8)に「曲水の宴 俳句会」として復活。現在は、同賞の表彰式の翌日に毎年行われている。曲水の起点から巫女姿の女性が朱色の大杯を流す風雅な催しで好評だ。園内には、新興俳句運動のリーダー的存在の山口誓子の句碑が立っている。鶴山公園に建立された西東三鬼の句碑「花冷えの城の石崖手で叩く」を見るため、1997年(昭和58)に山口誓子が津山を訪れ、衆楽園を吟行した際の句だ。
スポット詳細
- 住所
- 岡山県津山市山北628 地図
- エリア
- 蒜山高原・津山・美作三湯エリア
- 電話番号
- 0868236507
- 時間
-
[4月-10月]7:00-20:00
[11月-3月]7:00-17:00 - 休業日
- 無休
- 料金
- [入園料]無料
- 駐車場
- あり(大型車6台、普通車130台)
- クレジットカード
- 不可
- 電子マネー/スマートフォン決済
- 不可
- Wi-Fi
- なし
- コンセント口
- なし
- 喫煙
- 不可
- 平均予算
-
【昼】1-1,000円
【夜】1-1,000円 - 滞在目安時間
- 30-60分
- 車椅子での入店
- 可
- 乳幼児の入店
- 可
- 雨の日でも楽しめる
- はい
情報提供: ナビタイムジャパン
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