北国街道 木之本宿
北国街道と北国脇往還、2つの街道が交わる宿場町
観音の里・湖北の宿場町
JR北陸本線木ノ本駅東口から南下し、最初のT字路で左折して直進すること7分ほどで、古来「木之本のお地蔵さん」として親しまれる木之本地蔵院の門前にたどり着く。門前を南北に走る通りが、北陸と鳥居本(滋賀県彦根市)を結ぶ北国街道だ。木之本の地は、この北国街道と関ケ原から北陸へ向かう北国脇往還とが交わる場所にあたることから、宿場町として栄えた。大名や幕府の要人などが休泊する「本陣」や本陣の予備施設である「脇本陣」、庶民が宿泊する「旅籠」のほか、問屋や人馬を検閲する伝馬所などが設けられ、多くの旅人が往来したという。
木之本宿の往時に思いを馳せる
木之本宿には、かつて中央に小さな川が流れ、そのかたわらには柳の木が植えられていたというが、昭和時代の埋め立てによりその面影は失われた。現在は、街道沿いに点在する商家や造り酒屋など時を経て趣を増した建物群が往時をしのばせる。木之本地蔵院の南方には、滋賀の地酒「七本槍」で名高い冨田酒造や、1744年(延享元)に建てられた竹内五左衛門家が建つ。竹内家は江戸時代、大名や幕府の要人などが休泊する「本陣」を務めた家で、明治時代以降は薬屋を営んでいたため、軒下に連なる薬の看板も100年の時を超えている。この2件と山路酒造などを加えた計7件が、国の登録有形文化財だ。
脇本陣を担った室町時代創業の造り酒屋へ
木之本地蔵院の門前から北へ5分ほど歩くと、大きな杉玉を軒に吊す山路酒造がたたずむ。室町時代創業の造り酒屋だが、江戸時代には本陣の予備施設「脇本陣」の役割を担っていたという。江戸時代末期には関所を通過する旅人や馬を検閲する伝馬所ともなり、門前の木札がその跡地であることを伝えている。山路酒造のすぐそばには、木ノ本牛馬市跡の石碑も残る。地元近江をはじめ、街道を経由して各地からやってきた数百頭以上の牛や馬が集まり、年に2回セリが開かれたという。石碑の隣に建つ「馬宿平四郎」には、土佐藩初代藩主・山内一豊が妻・まつの内助の功で名馬を購入し、出世につながったというエピソードが残る。訪ね歩くほどに鮮やかに情景がよみがえる、宿場町のタイムトリップも乙なものだ。
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情報提供: ナビタイムジャパン