北前船回船問屋森家
北前船の栄華と歴史を伝える、築140年超の日本遺産
1航海で約5000万円儲けた財力を誇示
森家は、1878年(明治11)に建てられた北前船廻船問屋型町家である。藩政時代に街道だった岩瀬大町通りに面し、建物の西側を流れる神通川の河口には北前船用の港があった。一帯は森家、馬場家などの廻船問屋や造り酒屋の並ぶ歴史を感じさせる町並みで、通りを見渡すと時計の針を一気に巻き戻したかのような感覚を覚える。廻船問屋は、幕末から明治にかけて最盛期を迎えた。当時の北前船は、北海道から海産物や肥料、地元の越中から米や薬を全国に運んで売り、1航海で1000両、現在の価値で約5000万円儲けたという。建物は森家の財力を誇示するかのように、高価で希少な材をふんだんに使って造られた。1994年(平成6)に国の指定重要文化財、2018年(平成30)には日本遺産に認定されている。
随所に商人らしい験担ぎと遊び心
建物は広さ265平方メートル(80.2坪)で、母屋と庭を挟んで2つの土蔵が残る。往事は土蔵の先に米蔵、肥料蔵と続いていたが現在はない。2階には番頭部屋と女中部屋があり、使用人12人と家人8人の計20人ほどが暮らしたという。商談の場に使われた母屋のオイ(広間)には囲炉裏が切られている。ロシア産の琥珀を飾り、自在鉤(かぎ)には縁起のよい末広(扇子)の意匠が施されている。天井の梁(はり)は能登産の黒松だ。さらに、オイの畳の配置もユニークだ。縁(へり)の一部を省いた特殊な畳を複数敷いて、川の流れをイメージした模様を畳表で描いている。このほか、縁側の床木の組み方にも注目を。金が入るのを意味する漢字の「入」の字が見えてくる。財力を生かした遊び心と商人らしい験担ぎが、随所に見られるのがおもしろい。
廻船問屋ならではのネットワークを駆使
岩瀬地区で森家は、馬場家、米田家に次ぐ3番目の規模だった。建築の際には、まるで両家の向こうを張るように京都の東本願寺を普請した親方を棟梁に招き、金に糸目をつけていない。茶の間と台所に面して延びる土間は、小豆島から取り寄せた一枚岩の御影石だ。いかだを組んで上に乗せ、100日かけて富山まで運んだと伝わる。また、客用トイレの扉に屋久杉の板戸を使うなど、廻船問屋のネットワークを駆使して、2年がかりで日本各地から高級建材を手に入れている。さらに、森家の財力と信用を象徴するのが、扉飾りに菊の紋を描いた耐火金庫である。森家当主には鹿鳴館を建てた実業家・大倉喜八郎男爵とは知己があり、そのつてで手に入れたという。
ハイリスク・ハイリターンの商売だった
北前船は、海が荒れる冬季を避け、4月から10月頃にかけて航海した。船は大きさ150tほどの千石舟で、外洋に出る能力がないことから沿岸をたどるように航海した。成功すれば多額の利益を手にする半面、嵐で沈没する恐れもあるハイリスク・ハイリターンの商売だった。絵馬を奉納し、随所に験担ぎの意匠が見られるのも、航海の無事を願う想いの現れである。北前船の稼ぎ頭は北海道産の肥料で、農業の必需品でありドル箱だった。しかし、のちに大豆かすや化学肥料に取って替わられ、大正期からは鉄道の影響もあって北前船は急速に衰えていく。大きな歴史の流れを体感できる岩瀬地区には、路面電車や運河を利用した富岩水上ライン(観光船)経由で訪れることができる。足を延ばしてみよう。
スポット詳細
- 住所
- 富山県富山市東岩瀬町108 地図
- エリア
- 富山エリア
- 電話番号
- 0764378960
- 時間
- 9:00-17:00(入館は16:30まで)
- 休業日
- 年末年始(12/28-1/4)、その他臨時休館あり
- 料金
- [観覧料]大人100円、高校生以下無料
- 駐車場
- あり(5台)
- クレジットカード
- 不可
- 電子マネー/スマートフォン決済
- 不可
- Wi-Fi
- なし
- コンセント口
- なし
- 喫煙
- 不可
- 英語メニュー
- あり
- 平均予算
- 【昼】1-1,000円
- 滞在目安時間
- 0-30分
- 車椅子での入店
- 可(座敷の上は不可)
- 乳幼児の入店
- 可
情報提供: ナビタイムジャパン
クチコミ
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- 一度は訪れたい場所!
- 教科書では聞いた事がある北前船その問屋家屋が当時のまま残っている。この地域一帯が歴史的建造物保存地域なので当時にタイムスリップした感じを受けた。
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- 旧街道の真ん中あたりにある
- 大通りに→があり、迷わず旧街道に入れる。建物は梁がすごい。人数がある程度揃うと説明が始まる。入ってすぐ、商人が多勢入れるような広い座敷になっている
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- 北前船のもたらした富
- 江戸後期、瀬戸内海、日本海岸の港港で商売をしながら大坂と北海道松前を往復した北前船、歴史の教科書で必ず出てくるがその具体的なイメージを掴める。丁寧に案内していただき、そのもたらした富に思いを馳せた。この地区に北前船船の廻船問屋は20軒、森家はその二番手(一番手は隣の馬場家)で船を10艘持っていた。年1回の航海は50日で今の価値で6千万円の儲けがあったという。昭和30年代は工場のあった倉敷紡績の所有...
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