岩井崎
潮を吹き上げる気仙沼湾に突き出した岬
岬の突端から三陸の絶景を楽しむ
東日本大震災で被災した三陸地域の復興のために、2013年(平成25)に整備された三陸復興国立公園。全長は南北約250kmにも及ぶ大規模な公園で、その一部になっているのが「岩井崎」だ。駐車場から海へと進めば、そこには緑の芝が敷き詰められた岬と岩礁、そして太平洋の大海原が広がっている。左に岩井崎灯台、その先には波の浸食でできた石灰岩の奇岩が500mにわたって続く。かつて、岩が多い岩井崎は船が座礁しやすい難所で「地獄崎」と呼ばれていたという。しかし1723年(享保8)、仙台藩5代藩主・伊達吉松が領内巡視の途中でこの地に立ち寄り、そのあまりの絶景に「地獄崎と呼ぶのは不祥なり。これより祝崎と呼称せよ」と告げ、以来、祝崎と呼ばれるようになった。その後、岩井崎と書き改め現在にいたる。
復興のシンボルとして残った龍の松
東日本大震災の際、岩井崎も激しい津波に襲われた。幹や枝が大きく傷つけられたが、まるで龍のような形で残った1本の松、これが「龍の松」だ。一時枯死状態となったが、市民の願いもあり長く保存するための特殊な加工が施され、2016年(平成28)2月、現在の場所に設置された。潮吹き岩と並び、岩井崎のシンボルとして今も大事にされている。また、龍の松の向かい側には、気仙沼出身の第9代横綱「秀ノ山雷五郎像」が立っている。江戸時代に活躍した秀ノ山は、身長が低かったが、力士になりたいという想いから激しい稽古を重ねて怪力を身につけ、入門から19年目、1847年(弘化4)に38歳で横綱に昇進した。ちなみに江戸時代に横綱になるのは、今より遥かに難しく、江戸300年の間にわずか12人の横綱しかいない。銅像は、東日本大震災で津波を受けたが、奇跡的に流出せず、震災前と変わらずに江戸の方角を向いて立ち続けている。
石灰岩の岩場では古生代の化石の姿も
岩井崎はその周辺に広く石灰岩の岩礁が続いているが、そのなかにはサンゴや二枚貝、アンモナイトなど数十種に及ぶ化石を豊富に含んでいる。これらは2億5000万年前(古生代ペルム紀)のもので、かつてこの辺りが、熱帯から亜熱帯のような環境であったことを物語っている。岩礁地帯の最大の見どころの潮吹き岩は、干潮時に海が荒れているとより高く吹き上がる。ゴゴゴゴッという地鳴りのような音とともに潮が吹き上がる光景は迫力満点だ。ただ、波が荒れているときに見学する場合は十分に注意が必要。岩井崎の近くには、震災後閉鎖されていた「お伊勢浜海水浴場」もある。東日本大震災で砂浜が流出し松林はすべて奪われたが、その後の整備で遠浅の砂浜がよみがえり、2022年(令和4)夏には12年ぶりに海開きした。
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情報提供: ナビタイムジャパン