会津松平氏庭園 御薬園
歴代藩主の愛した庭園巡りは日常を忘れるひととき
室町から戦国時代を経て歴代藩主の別荘へ
室町時代、朝日保方(あさひやすかた)という老人がこの地に湧き出した泉の水で村人を疫病から救ったという伝承があり、その後1434年(永享4)、会津領主蘆名盛久(あしなもりひさ)がこの地に別荘を建てたのが御薬園の始まりといわれ、藩祖保科正之が庭園を整備して保養所としたあと2代藩主保科正経(ほしなまさつね)が貧しい領民を救うために薬草園を開設した。3代藩主松平正容(まつだいらまさかた)の時代に、借景を取り入れた徳川時代の代表的な大名型山水庭園として造園され現在の庭園に。また正容は薬草園を整備し朝鮮人参など薬草を植えて民間に奨励したことから「御薬園」と呼ばれるようになった。戊辰戦争では、新政府軍の医療所として使用されたために戦火に巻き込まれず、現在も往時の姿をとどめている。1932年(昭和7)に国の名勝に指定され、1953年(昭和28)から一般公開されている。
殿様が眺めた景色を楽しむ
上から眺めると「心」の字に見える心字の池は、見渡せるほどの大きさで周りをぐるっと散策できる回遊式庭園になっている。自然な形でありながら格調高い雰囲気の庭は、池辺や山の曲線などに日本の美が凝縮され、歩きながら心が癒やされる。時折跳ねる池の鯉やカモの姿が微笑ましく、日常を忘れた豊かな時間を楽しむことができる。池の中島に建てられた楽寿亭は、数寄屋風建築で萱葺屋根が特徴。また御茶屋御殿でひと休みしながら抹茶を飲めば、お殿様の眺めた庭園がしのばれる。
薬草・薬木の研究所としての役割
薬草園として整備されつつ1800年のはじめ5代松平容頌(まつだいらかたのぶ)の頃、出雲の国(島根県)から大量の人参種を買いつけ、会津一円に広く作付けが奨励された。その後も会津藩における薬草園としての御薬園の役割は大きく、会津に自生する薬草や薬木を積極的に栽培し、あらゆる種類の薬草の鑑定、毒草の見分け方など薬効の研究に取り組んだ。現在でも薬草園は在来種、外来種など約400種類の薬草を栽培。常時20種類以上を取りそろえた薬草茶はお土産としても喜ばれている。
重陽閣が御薬園に移築された由来
1928年(昭和3)昭和天皇の弟宮、秩父宮雍仁(やすひと)親王殿下と九代藩主松平容保の孫にあたる勢津子姫とのご婚約が成立し、御一家を会津若松で歓迎するため東山温泉「新滝旅館」に建てられた三階建ての別館である。その後1973年(昭和48)、勢津子妃殿下御一家が泊まったこの「新滝旅館」別館が皇室に最もゆかりの深い御薬園の敷地内に移築された。「重陽閣」という建物の名前は、秩父宮妃勢津子殿下により命名された。妃殿下の誕生日が9月9日であり「重陽」の節句からとって名づけられた。
スポット詳細
更新日:2024.04.25
- 住所
- 福島県会津若松市花春町8-1 地図
- エリア
- 会津若松エリア
- 電話番号
- 0242272472
- 時間
- 8:30-17:00(最終入園16:30)
- 休業日
- 臨時休園有り
- 料金
- [入園料]大人330円、高校生270円、小・中学生160円
- 駐車場
- あり(60台)
- 電子マネー/スマートフォン決済
- 不可
- Wi-Fi
- あり
- コンセント口
- なし
- 喫煙
- 不可
- 車椅子での入店
- 可(木道部分のみ可)
- 乳幼児の入店
- 可
情報提供: ナビタイムジャパン
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