子規堂
俳人・正岡子規が17歳まで暮らした邸宅を模した記念堂
再建を繰り返しながら子規の暮らしを今に伝える文学資料館
松山市駅から徒歩3分、正岡家の菩提寺である正宗寺(しょうじゅうじ)の境内にある子規堂。松山出身の俳人・正岡子規が17歳まで過ごした家を復元し、1946年(昭和21)に建てられた木造平家建の建物だ。初代子規堂は、1926年(大正15)に柳原極堂(やなぎはらきょくどう)らによって松山市湊町4丁目1番地にあった正岡家の旧居の一部をに移して建てられたが、1933年(昭和8)に焼失。その後に再建された2代目の子規堂も、1945年(昭和20)の松山空襲により焼失した。1946年(昭和21)に子規の妹・律の遺した記録図と極堂の記憶に基いて当時の居宅の構造をそのまま再現したものが、現在の3代目子規堂である。
遺墨や遺品のほか子規が使った机など充実の展示
堂内には子規の直筆原稿、遺墨、遺品や写真など貴重な資料約100点を展示している。特に子規が愛用した机などを展示している「子規の勉強部屋」は見ものだ。子規が松山中学時代に増築してもらった3畳の勉強部屋で、天井もない粗末なもの。この部屋で作った文章には、桜亭仙人(13歳)、老桜漁夫(14歳)などと皆桜にちなんだ雅号を用いているのは、庭の桜の老樹の影響という。「子規」という号は明治22年、数え年23歳のときにつけたものである。
記念堂外にも子規の埋髪塔や子規と野球の碑など見どころ満載
子規堂を出て右手にある境内墓地に入ると、1904年(明治37)子規の3周忌に正宗寺の住職・仏海が建てた埋髪塔がある。子規の埋髪塔は初代の子規堂よりも歴史が古く、空襲の際も焼失しなかったそう。子規堂と埋髪塔は1948年(昭和23)、愛媛県指定文化財に認定されている。子規堂の前には子規と親交の深かった夏目漱石が、小説『坊っちゃん』のなかで「マッチ箱のような汽車」と評した「坊っちゃん列車」の客車もある。また、子規は日本に導入されたばかりの野球に夢中になり、数々の野球に関する句を残すなど野球と深い関係があることから、子規と野球の碑も立てられている。
スポット詳細
- 住所
- 愛媛県松山市末広町16-3 地図
- エリア
- 道後温泉エリア
- 電話番号
- 0899450400
- 時間
- 9:00-17:00(最終入館16:40)
- 休業日
- 無休
- 料金
-
[大人]50円
[高校生・大学生]40円
[小・中学生]30円 - 駐車場
-
あり(3台)
※バス1台につき500円 - クレジットカード
- 可(VISA、MasterCard、JCB、AMEX、銀聯、Diners Club)
- 電子マネー/スマートフォン決済
- 可(Suica、PASMO、QUICPay、iD、nanaco、楽天Edy、au WALLET、Apple Pay、Google Pay、PayPay、LINE Pay、d払い、auPAY、ALIPAY)
- Wi-Fi
- あり
- コンセント口
- なし
- 喫煙
- 可(子規堂境外に設置場所のみ)
- 平均予算
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【昼】1-1,000円
【夜】1-1,000円 - 滞在目安時間
- 0-30分
- 乳幼児の入店
- 可
情報提供: ナビタイムジャパン
クチコミ
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- 子規の仲間評が面白い
- 松山市駅から近くです。子規が松山で住んでいた家を移築したようです。はでさはないのですが、子規が仲間を食べ物にたとえた評は面白いですね。
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- お寺の中に
- 正宗寺というお寺の中にあります。高島屋の東側の道を南下していくと道路の西側にお寺の入り口があります。そのまま入れそうな感じですが、ちゃんと受付があります。17歳まで過ごした邸宅を模して建てられた木造平家建の建物です。格安の値段の割に充実しています。
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- 子規が実際に使用した机があります
- 松山市駅より徒歩5分程度の場所にあり入場無料です。正岡子規が実際に使用していた机や筆などが展示されています。
TripAdvisorクチコミ評価
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