海龍寺

寺院

「尾道七佛めぐり」のひとつで、人形浄瑠璃・文楽の墓がある

鎖場のある「くさり山」(写真右手奥)を背に、本堂が立つ} 鎖場のある「くさり山」(写真右手奥)を背に、本堂が立つ

尾道市街の東にそびえる浄土寺山のふもと、浄土寺のすぐ近くの山際に、「尾道七佛めぐり」の寺のひとつ海龍寺がたたずむ。鎌倉時代には浄土寺の曼荼羅(まんだら)堂と呼ばれ、西国巡教をしていた奈良・西大寺(さいだいじ)の定證上人(じょうしょうしょうにん)がここに安居し、荒廃していた浄土寺を復興したと伝わっている。1245年(寛元3)に、寺の別当職だった備後大田庄の荘官・和泉法眼渕信(いずみほうげんえんしん)が定證上人に寄進し、その年を創建とする。1307年(徳治2)に浄土寺の塔頭となり、江戸時代の1662年(寛文2)に寺名を海龍寺と改めた。真言宗泉涌寺派で、本尊は千手観世音菩薩。境内には江戸時代の人形浄瑠璃家「初代座主の墓」と「初代竹本弥太夫の墓」があり、海龍寺では特に芸術や創作活動にご利益ありとされる。また千光寺同様に、この海龍寺の裏手にも、四国の石鎚山にちなんだ鎖場がある。3本の鎖を登った岩場の上は絶景で、一般の観光客でも自由に登ることができるが、本格的な鎖場で危険もともなうので、安易な気持ちで登ることは慎みたい。

同じく「尾道七佛めぐり」の寺のひとつ浄土寺のすぐ近くにある。周辺は見晴らしのよい石畳道となっていて、散策するのに好適だ} 同じく「尾道七佛めぐり」の寺のひとつ浄土寺のすぐ近くにある。周辺は見晴らしのよい石畳道となっていて、散策するのに好適だ

大坂の文楽座(ぶんらくざ)創始者の墓と初代竹本弥太夫の墓。「お経の塚」に触れながら念じれば、技芸が上達するという} 大坂の文楽座(ぶんらくざ)創始者の墓と初代竹本弥太夫の墓。「お経の塚」に触れながら念じれば、技芸が上達するという

「壱の鎖」「弐の鎖」「参の鎖」と3つに分かれる鎖場は、スリル満点で、登った先には絶景が待っているが、登るには十分な心構えと細心の注意が必要だ} 「壱の鎖」「弐の鎖」「参の鎖」と3つに分かれる鎖場は、スリル満点で、登った先には絶景が待っているが、登るには十分な心構えと細心の注意が必要だ

スポット詳細

住所
広島県尾道市東久保町22-8 map map 地図
エリア
尾道エリア
電話番号
0848376251
時間
9:00-17:00
休業日
無休
料金
無料
駐車場
有(5台)
クレジットカード
不可

情報提供: ナビタイムジャパン

クチコミ

  • 浄土寺とセットで!!
    3.0 投稿日 : 2021.05.12
    尾道七佛めぐりの寺院の一つ。尾道駅からスタートした場合、海龍寺は一番遠くに離れている寺院で、距離は2.1㎞ほどですが、途中に他の寺院を巡りながらだと徒歩で3時間前後って案内がありました。しかも坂と階段が多い尾道は、体力ない私にはかなり大変で途中にバスで移動してしまいました。すぐ手前の浄土寺の訪問の後に海龍寺へ向かいましたが、ほぼ向かい合わせに入口の石段がありました。寺伝によると奈良西大寺...
  • 技芸上達祈願
    3.0 投稿日 : 2021.05.04
    尾道七佛めぐりで参拝しました。浄土寺の隣にあります。浄土寺の塔頭と位置付けられています。境内に文楽師匠の墓があり、お経塚を撫でるとても才能が開花されると言われています。
  • 寺めぐりの果てに
    3.0 投稿日 : 2018.11.25
    古寺巡りでJR尾道駅から延々歩いてくると、この寺が最も西側にある。古寺巡りの終わりというわけではなく駅に帰る折り返しでしかないのだが、山門を見ると、ちょっと達成感を感じるから不思議だ。山門をくぐった右側には江戸時代の人形浄瑠璃家「文楽」と「竹本弥太夫」の墓があるが、現地の説明版によると、これは追善供養のために地元の旦那が立てたものだという。後背には存在感がある岩壁がある。

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アクセス

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最寄り

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