今井町の町並み

伝統的町並み/家並み

暮らしと歴史が共存する今井町で、江戸時代にタイムトリップ

江戸時代「大和の金は今井に七分」といわれるほど、商人の町として栄えた今井町。現在も大半の町家が大切に保存され、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている、江戸時代の姿を残す観光スポットだ。

人々の暮らしの息づかいが聞こえてくるかのような美しい町並み} 人々の暮らしの息づかいが聞こえてくるかのような美しい町並み

散策は「華甍」からスタート!

近鉄八木西口駅から飛鳥川沿いを南に下ると、赤い橋・蘇武(そぶ)橋が見えてくる。橋を渡ってさらに川沿いを南へ歩き、まずは今井まちなみ交流センター「華甍(はないらか)」へ。「華甍」は明治の教育博物館を活用した資料館で、今井町の歴史をわかりやすく展示解説している。各種マップなど資料が豊富なので、ここから散策をスタートすると、町をより深く知ることができそうだ。今井町は東西600m、南北310mほどで、端から端まで歩くと約15分。東京ドーム約4個分もの面積があり、江戸時代の面影が残る町に今も人々が暮らしている。

和洋折衷の名建築「華甍」} 和洋折衷の名建築「華甍」

一向一揆の拠点から、商業都市として繁栄

今井町は、本願寺の今井兵部が天文(てんぶん)年間に建てた「称念寺(しょうねんじ)」が始まりとされ、一向宗の拠点となったのち寺内町として発展した。称念寺が創建された頃、世は戦国時代。天下統一を狙っていた織田信長は一向宗と敵対し、一向一揆が各地で勃発していた。今井町も周辺に濠と土居をめぐらせ信長に対抗。半年に及ぶ戦の末、本願寺の降伏にともない、交流の深かった堺の豪商や明智光秀のはからいで信長と和解する。その際、半年間を戦い抜いた今井町に対し「敵ながらあっぱれ」と感心した信長は、武装放棄することを条件に自治権を与えた。これが今井町繁栄の始まりとなった。

御堂筋沿いに建つ、一向宗・称念寺} 御堂筋沿いに建つ、一向宗・称念寺

歴史の名残を探してみよう

江戸時代には貿易都市として繁栄した大阪・堺と肩を並べ「海の堺、陸の今井」と称される商業都市へと発展する。肥料・木綿・味噌・酒などの取引が盛んで、「大和の金は今井に七分」といわれる財力に恵まれた。今井町には大阪などから多くの商人が訪れ、商品や人を運ぶ馬や牛が町内を行き交っていたそう。豪商の家には「駒つなぎ」という馬や牛をつなぐ金物が今も残っている。町内には、江戸時代の伝統様式による町家が多く残り、9つの建物が重要文化財に指定されているなど見どころ満載。まず訪れたいのが、西端にある「今西家住宅」。全国的に見ても極めて古い民家建築で、豪壮な建物は一見の価値ありだ。

町のシンボルマークにもなっている「駒つなぎ」} 町のシンボルマークにもなっている「駒つなぎ」

今井町で最も古い民家の今西家住宅} 今井町で最も古い民家の今西家住宅

貴重な町家で当時の暮らしを体感

今西家住宅から北に歩くと、今井町らしい景観が色濃く残る中町筋に出る。中町筋には金物問屋を営んでいた音村家住宅と、金物や肥料の卸しを商いにしていた旧米谷家住宅。2つの重要文化財が並ぶ。ほかにも、幕末には大名貸しを行っていた豊田家住宅など、歴史ある豪商の家を見学することができる。見学には予約が必要な施設もあるので、事前に確認しておこう。さらに明治創業の恒岡醤油醸造本店や、江戸時代創業の河合酒造など歴史ある商家が残り、伝統の技と味を守り続けている。また、町家を改装したカフェや雑貨店など個性豊かな店が充実しているので、1日かけてゆっくりと散策したい。

自由に見学できる旧米谷家住宅} 自由に見学できる旧米谷家住宅

今井町の風土で育まれた伝統の味をお土産に} 今井町の風土で育まれた伝統の味をお土産に

スポット詳細

住所
奈良県橿原市今井町 map map 地図
エリア
橿原エリア
駐車場
あり(48台)
※今井まちなみ広場駐車場

情報提供: ナビタイムジャパン

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