吉野寿司 本店

寿司

見た目も鮮やかな「箱寿司」発祥の寿司屋

1841年(天保12)創業の「吉野鯗(よしのずし)」は、大阪伝統の押し寿司を芸術性豊かな高級料理「箱寿司」へと変えた老舗寿司店。今も昔ながらの伝統の製法を守り、「二寸六分の懐石」と讃えられる美しい箱寿司を作り続けている。

趣のある店構え。店先には淡路町を舞台に描かれた『冥途の飛脚』の登場人物にちなみ「梅川・忠兵衛ゆかりの淡路町」の碑が立つ} 趣のある店構え。店先には淡路町を舞台に描かれた『冥途の飛脚』の登場人物にちなみ「梅川・忠兵衛ゆかりの淡路町」の碑が立つ

かつて「天下の台所」と呼ばれた大阪・船場の老舗寿司店

大阪・北船場の淡路町に店を構える寿司店「吉野鯗」は、旅籠屋をしていた吉野屋嘉助が1841年(天保12)に創業した、大阪でも屈指の老舗である。店は心斎橋筋に面して立ち、大阪メトロ本町駅と淀屋橋駅のどちらからも徒歩5分ほどの距離にある。船場は安土桃山時代の末期から江戸時代初期にかけ、大坂城の整備に際して移住させられた町民たちによって築かれた町であり、その後「天下の台所」と呼ばれた大阪の経済・流通の中心となったエリア。商家の旦那衆たちによってはぐくまれた上方文化の中心でもあり、大阪の寿司文化もこうした船場の文化的土壌を背景に生まれたものである。なお店の所在地である淡路町は、近松門左衛門作の人形浄瑠璃『冥途の飛脚』ゆかりの地として知られることから、「吉野鯗」の店先には記念碑が立てられている。

1階にある持ち帰り用の販売カウンター。食事のできる座席は2階にある} 1階にある持ち帰り用の販売カウンター。食事のできる座席は2階にある

押し寿司を花形の大阪名物に変えた、「吉野鯗」の「箱寿司」

今でこそ大阪でも江戸発祥の握り寿司が一般的だが、もともと大阪の寿司といえば「押し寿司」。木枠などに酢飯を詰め、その上に魚を重ねて押し固めて作る寿司であり、アジやさばなどの大衆魚で作られる手軽な食べ物だった。それを味や見た目、素材にもこだわる高級料理へと昇華させたのが、「吉野鯗」の3代目・橋本(吉野屋)寅蔵。鯛やエビ、穴子などの高級食材を一日がかりで丹念に仕込み、箱で押して作られた押し寿司は「箱寿司」と呼ばれ、その美しさから「二寸六分の懐石」と賞されるようになる。箱寿司は船場の旦那衆たちに特に愛され、気の利いた手土産の定番として、また観劇の幕間の食事などで好んで選ばれた。こうして大阪を代表する食文化となった箱寿司は、農林水産省選定「郷土料理百選」にも選ばれている。

創業時に書かれた「吉野鯗」の額縁} 創業時に書かれた「吉野鯗」の額縁

現在のビルの店舗ではあるが、歴史を感じさせる雰囲気} 現在のビルの店舗ではあるが、歴史を感じさせる雰囲気

手間を惜しまず作られる伝統の箱寿司をいただける

創業から180年を経て、現在の「吉野鯗」では7代目・橋本卓児さん自らカウンターに立ち、箱寿司を作っている。作り方は、専用の木枠の底に酢飯を敷き詰めたあと、甘く煮込んだ椎茸と焼き海苔を入れて再度酢飯を載せ、その上に穴子や小鯛、エビなどのネタを載せて蓋をかぶせる。木枠を回転させながら蓋を押し、適度に空気を抜くことでうまみを凝縮させ、劣化を防ぐことができるという。にぎり寿司と違い、2日ほど日持ちするのも箱寿司のよいところで、今もお土産や贈答用に購入する人が多い。店は1階が持ち帰り専用のカウンターになっているが、2階には座席もあり、店で各種コースをいただくことができるのも本店ならでは。大阪でも今では押し寿司を提供する寿司店は少なくなったが、伝統を守り続けるルーツ店ならではの味をぜひ堪能したい。

色鮮やかな箱寿司は、「二寸六分の懐石」と讃えられる美しさ} 色鮮やかな箱寿司は、「二寸六分の懐石」と讃えられる美しさ

専用の木枠を使って箱寿司を作る、7代目・橋本卓児さん} 専用の木枠を使って箱寿司を作る、7代目・橋本卓児さん

スポット詳細

住所
大阪府大阪市中央区淡路町3-4-14 map map 地図
電話番号
0662317181
時間
[食事]11:00-13:30(L.O.)
[持帰り]9:30-18:00
休業日
土、日、祝

情報提供: ナビタイムジャパン

アクセス

map map 地図

最寄り

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