城端別院 善徳寺
城端に450年の歴史を刻む、加賀藩の庇護を受けた大刹
「触頭役(ふれがしらやく)」として隆盛し、寺宝は1万点以上
善徳寺は室町時代の1471年(文明3)、本願寺第8代門主の蓮如上人が北陸へ布教に訪れた際、加賀と越中の国境にあたる加賀国河北郡井家の庄、砂子坂(金沢市)に創建したのが始まりである。その後、何度か移転を繰り返したのち、1559年(永禄2)、城ヶ鼻城の城主であった荒木大膳の招きで、城の一角に寺域を定め現在地に建立された。江戸時代には加賀藩の庇護のもと、真宗寺院の拠点となり、幕府や藩の命令を各寺院に伝え、寺院側の請願を藩などに届ける「触頭役」として隆盛し、今日にいたる。加賀藩前田家から拝領した宝物も含め、約1万点以上の法宝物や古文書などの寺宝を所有し、毎年7月に行われる「虫干法会」では、約900点が一般公開される。
本堂ではお勤めと法話が、365日変わらず続く
北陸は親鸞聖人が開いた浄土真宗の熱心な門徒の多い地域として知られ、南砺市には井波に瑞泉寺、城端には善徳寺が立つ。ともに藩政期には触頭役を務め、地域の中心道場としての役割を担ってきた。伽藍は信仰に直結しており、たとえば境内は、阿弥陀如来の救いをわかりやすく示すため「二河白道」を体現している。白い参道の両側を、人の貪欲と怒りに相当する「水の河」と「火の河」とみなし、この二河に挟まれたひと筋の白い道を、浄土へいたる信心に例えたのだ。参拝自体が、そのまま仏の教えの学びにつながるわけである。参拝に訪れる門徒の姿は数百年を経ても絶えず、本堂では365日、今も変わらずお勤めと法話が続いている。
前田家との深い関わりを示す数々の部屋
善徳寺では院内の拝観は予約制だ(境内は自由)。年間約2000人が電話で予約するか参拝の際に境内寺務所にある受付にあらかじめ申し込んだうえで、関係者の案内を受ける。うち7割は県外からの拝観者だ。その際には、ふだんは公開されない「大納言の間」や「茶室」などを見ることができる。前田家との関わりが深い善徳寺は、16代住職として加賀前田家13代・斉泰の子息・亮麿(すけまろ)を迎えており、多くの武家風の部屋が残る。亮麿のために改築された「対面所」には、天井に大谷家の家紋の牡丹、欄間には加賀藩の梅鉢紋の彫刻が施され、武者隠しの扉もある。また、亮麿が過ごした「御殿」は、天井に襖を貼り、床下にはシジミの貝殻を敷き詰めた構造だ。外敵の侵入を防ぐ城のような造りは異色である。拝観案内は400円。ぜひ予約して訪れたい。
スポット詳細
- 住所
- 富山県南砺市城端405 地図
- エリア
- 南砺・五箇山エリア
- 電話番号
- 0763620026
- 時間
- [受付・問合せ]9:00-17:00
- 休業日
- 無休
- 料金
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[境内参拝]自由
[拝観案内(予約制)]400円/人 - クレジットカード
- 不可
- 電子マネー/スマートフォン決済
- 不可
- Wi-Fi
- なし
- コンセント口
- なし
- 喫煙
- 不可
- 車椅子での入店
- 可
- 乳幼児の入店
- 可
- 雨の日でも楽しめる
- はい
情報提供: ナビタイムジャパン
クチコミ
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- 城端にある真宗大谷派別院
- 城端曳山会館近くにある寺院。井波の瑞泉寺と同じく、真宗大谷派別院です。立派な山門、本堂、太鼓楼や鐘楼も歴史を感じさせます。
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- 富山の立派な浄土真宗の別院
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- 城端むぎや祭の前日
- 蓮如上人が1471年に加賀で開山し、1559年に)に城端へ移転した浄土真宗大谷派の寺院です。本尊の阿弥陀如来は行基の作と伝えられています。本堂前に城端むぎや祭のステージが組まれ、既に客席も準備されており、優美な彫刻が施された山門だけを見学して本堂への参拝を遠慮しました。
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