鹿児島県歴史・美術センター黎明館

博物館/科学館

鹿児島の政治の中心だった場所から鹿児島の歴史を発信する

明治百年の記念事業として計画され、鹿児島城の本丸跡に開館した人文系の総合博物館で、鹿児島の歴史や文化を知り、再発見する場を目指している。城跡の正面には日本最大級の城門「御楼門(ごろうもん)」が復元された。

2020年(令和2)に復元された鹿児島城のシンボル「御楼門」} 2020年(令和2)に復元された鹿児島城のシンボル「御楼門」

島津氏の居城跡に建てられた博物館

「鹿児島県歴史・美術センター 黎明館(れいめいかん)」は、鹿児島城の本丸跡に1983年(昭和58)に開館した人文系の総合博物館で、鹿児島県の歴史や考古、民俗、美術・工芸に関する展示を行っている。敷地内には江戸時代の堀や石垣、石橋などが残っており、2023年(令和5)3月に国の史跡に指定された。鹿児島城は別名「鶴丸城」とも呼ばれ、薩摩藩初代藩主の島津家久が1601年(慶長6)頃に築城を始め、江戸時代を通じて島津氏の居城となった。背後の城山と麓(ふもと)の居館からなり、城の範囲は東西約1.2km、南北約900m、面積約85万平方メートルと広大だった。当初は城山の山頂部分が本丸・二之丸と呼ばれていたが、江戸時代後半になると麓に移り、現在の黎明館の辺りが本丸、県立図書館や市立美術館の辺りが二之丸と呼ばれるようになった。

御楼門をくぐった先にある石垣には、西南戦争のときに撃ち込まれた多数の砲弾や銃弾のあとが残る。石垣にめり込んでいる大砲の破片もあるので探してみよう} 御楼門をくぐった先にある石垣には、西南戦争のときに撃ち込まれた多数の砲弾や銃弾のあとが残る。石垣にめり込んでいる大砲の破片もあるので探してみよう

黎明館訪問の際に注目したいのが、鹿児島城の正面入り口にある「御楼門」だ。高さと幅約20m、奥行き約7mという日本最大級の城門で、重さは320tもある。かつてここは殿様や上級武士が特別なときのみ通ることができた場所で、下級士族出身の西郷隆盛は北側にある北御門から登城した。過去に3回以上建て替えられており、最後の門が焼失したのは1873年(明治6)のこと。近年、最後の門の写真をもとに御楼門を復元する取り組みが進められ、2020年(令和2)に147年ぶりに復活を果たした。御楼門を眺めたら、周囲に残る見事な城壁も観察してみよう。島津氏は城の美観を保つために非常に気を遣ったという。石垣は技術の高さを見せつけるためあえて多角形にして隙間なく積み、御楼門近くの石垣は、縁に漆喰を塗った「金場取残積み(かなばとりのこしづみ)」という技法を用いて飾っている。排水溝は地下を通し、人目につかないところから堀に水が流れ込むようになっている。

かつて鹿児島城の本丸があった場所に立つ「鹿児島県歴史・美術センター 黎明館」} かつて鹿児島城の本丸があった場所に立つ「鹿児島県歴史・美術センター 黎明館」

鹿児島の歴史を時代ごとに紹介

黎明館の1階、床に鹿児島県の巨大地図が描かれたトンネルの先が常設展示室となっている。常設展示は1階がテーマ展示、2~3階が部門別展示で、テーマ展示では先史・古代、中世、近世、近・現代と時代を追って鹿児島の歴史を理解することができる。たとえば、先史・古代のエリアでは、鹿児島県鹿屋(かのや)市にある弥生時代中期頃の集落遺跡・王子遺跡にあったとされる棟持柱(むなもちばしら)建物が復元されており、弥生時代の人々の暮らしぶりを知ることができる。近・現代のエリアでは鹿児島市の繁華街・天文館の昭和初期の様子がジオラマで再現されており、「南九州一の盛り場」「鹿児島のロック街」といわれていた頃の雰囲気が伝わってくる。

鹿屋市の王子遺跡にあったとされる棟持柱建物を2分の1の縮尺で復元} 鹿屋市の王子遺跡にあったとされる棟持柱建物を2分の1の縮尺で復元

昭和初期の天文館を再現したジオラマ。現在「天文館むじゃき 本店」がある辺りから市電通りを望んだ風景} 昭和初期の天文館を再現したジオラマ。現在「天文館むじゃき 本店」がある辺りから市電通りを望んだ風景

迫力の仮面で離島独特の文化を知る

2~3階の部門別展示では、歴史や民俗、美術・工芸の部門ごとに特色ある鹿児島の文化を紹介している。歴史のエリアでは、特に幕末や明治維新期の資料が充実しており、維新の志士たちゆかりの品や当時の様子を表したジオラマなどが並ぶ。なかでも西郷隆盛が、千葉県の習志野で明治天皇に随行した際に着用した軍服と軍帽(複製)を見ると、体の大きな人だったということがよくわかり興味深い。このほか歴史のエリアには、ユネスコの世界遺産にも登録されている「明治日本の産業革命遺産」についての展示が2019年(令和元)に新設された。民俗のエリアでは、2018年(平成30)に「来訪神 仮面・仮装の神々」としてユネスコの無形文化遺産に登録された、硫黄島に伝わるメンドン、悪石島(あくせきじま)に伝わるボゼが展示されており、その迫力ある姿は見るものを圧倒する。美術・工芸のエリアでは、日本画・書、洋画・彫刻、薩摩焼、薩摩刀の4コーナーがあり、それぞれ鹿児島県で制作された質の高い作品を展示している。

2階の歴史エリアにある「薩摩藩と明治維新」コーナー} 2階の歴史エリアにある「薩摩藩と明治維新」コーナー

薩南諸島各地の仮面。前列の左が硫黄島のメンドン、中央と右が悪石島のボゼ} 薩南諸島各地の仮面。前列の左が硫黄島のメンドン、中央と右が悪石島のボゼ

昔懐かしい江戸時代の古民家

黎明館の裏には庭園があり、自由に散策することができる。その一角に「樋の間二つ家(てのまふたつえ)」という、霧島市横川(よこがわ)町から移築された江戸時代末期の民家がある。「樋の間」と呼ばれる板張りの間で2つの棟が連結されたもので、川内(せんだい)川流域から旧姶良(あいら)郡一帯に見られる家屋の形態だ。茅葺き屋根の虫除けや柱の耐用年数を高めるため、水曜の10~15時(6~7月は毎週、そのほかは奇数週)に民家の中で囲炉裏の火を焚いており、その様子を見ることができる。

屋外に展示されている「樋の間二つ家」は、茅葺き屋根の2棟が板張りの間で連結しているのが特徴} 屋外に展示されている「樋の間二つ家」は、茅葺き屋根の2棟が板張りの間で連結しているのが特徴

スポット詳細

住所
鹿児島県鹿児島市城山町7-2 map map 地図
電話番号
0992225100
時間
9:00-18:00(最終入館17:30)
休業日
月(祝の場合は翌平日)、毎月25日(土日祝の場合は開館)
料金
[入館料]一般410円(300円)、高校生・大学生250円(150円)、小・中学生150円(80円)
※()内は20名以上の団体料金
[年間パスポート]一般820円、高校生・大学生500円、小・中学生300円
駐車場
あり(普通車125台、バス20台)
クレジットカード
可(VISA、MasterCard、JCB、銀聯、DISCOVER、Diners Club)
電子マネー/スマートフォン決済
可(Suica、PASMO、QUICPay、iD、nanaco、WAON、楽天Edy、LINE Pay、メルPAY、auPAY、ALIPAY、ICOCA、SUGOCA、atone、EPOSPay、pring、銀行Pay、FamiPay、ANAPay、ゆうちょPay、カシコンプラス、Payどん、WeChatPay)
Wi-Fi
あり
コンセント口
なし
喫煙
不可(館外に喫煙スペースあり)
平均予算
【昼】1-1,000円
滞在目安時間
60-120分

情報提供: ナビタイムジャパン

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クチコミ

  • 鹿児島の文化や歴史がよくわかります
    5.0 投稿日 : 2023.05.05
    鹿児島の文化歴史を学ぶには最適な場所です。1階から3階までの展示物はいずれも貴重な品物が多く歴史的な書物や工芸品が展示されていて興味を沸かせるものばかりで時間を忘れて見入ってしまいました。館内だけでなく館外には屋外展示物もあり昔の建物などを見学できるのも玉シミがあります。
  • 鹿児島の古代から現代までの歴史が一目瞭然です
    4.0 投稿日 : 2023.01.30
    鹿児島県鹿児島市内の「鹿児島県歴史・美術センター黎明館」についての情報を発信していきます。「鹿児島県歴史・美術センター黎明館」を訪れたのは2023年1月28日です。「鹿児島県歴史・美術センター黎明館」へのアクセスは、「鹿児島中央駅東口」の「東4のりば」から「カゴシマシティビュー」バスに乗り、「薩摩義士碑前」で下車します。「鹿児島中央駅東口」から「薩摩義士碑前」バス停までの所要時間は、29分です...
  • 休日注意
    3.0 投稿日 : 2022.04.25
    月曜日に訪問も休館日(大ちょんぼ)100名城の判も押せず、黎明館には無料で駐車できます。館内には入れませんでしたが庭を拝見することが出来篤姫や、四高生の銅像も見れて少しは自分の失敗を慰められました。

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アクセス

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最寄り

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