平戸オランダ商館 1639年築造倉庫(復元)

その他の史跡/建造物

日本初の洋風建築を復元。平戸とオランダの交易の歴史を伝える

17世紀の大航海時代、日本で最初の西洋貿易港としてポルトガルやイギリス、オランダとの交流が始まった平戸。東インド会社が設置したオランダ商館の倉庫を復元し、その歴史や役割、海外との交易についてさまざまな史料で解説する。

平戸瀬戸を望む景勝の地に立つ平戸オランダ商館。白壁の建物前にはオランダ国旗がひるがえる} 平戸瀬戸を望む景勝の地に立つ平戸オランダ商館。白壁の建物前にはオランダ国旗がひるがえる

ヨーロッパとの最初の貿易港となった平戸

長崎県北西部、九州本土と平戸瀬戸を挟んで南北に細長く横たわる平戸島。西は東シナ海、北は玄界灘を望み、古くから中国や朝鮮との交流が行われてきた。1550年(天文19)、ポルトガル船が初めて平戸に入港。貿易による発展への期待を寄せた平戸藩主・松浦隆信(まつらたかのぶ)は、キリスト教の布教を認め、ポルトガルとの交易を始めた。関ヶ原の戦いで東軍が勝利した1600年(慶長5)、1隻の船が現在の大分県臼杵(うすき)に漂着する。オランダ船として初めて日本に到達したリーフデ号で、のちに徳川家康に重用され三浦按針(みうらあんじん)と名乗る英国人ウイリアム・アダムスも航海士として乗船していた。その後、生存者は平戸藩主松浦が用意した船でオランダ船の来通を求める手紙とともにパタニ(マレー半島にあった王国)へと送還された。1609年(慶長14)、2隻のオランダ船が平戸に来航。松浦家やアダムスの協力で家康に謁見し、日本との貿易の許可を得たオランダは、同年9月に平戸に商館を設置。こうして日蘭交流の時代が幕を開けた。

商館の前には1616年(元和2)に築かれた防波堤があり「常燈の鼻」と呼ばれている} 商館の前には1616年(元和2)に築かれた防波堤があり「常燈の鼻」と呼ばれている

約2万個もの砂岩切石を使って倉庫を復元。48cm角のY字形の柱はオランダ様式} 約2万個もの砂岩切石を使って倉庫を復元。48cm角のY字形の柱はオランダ様式

世界の海を制覇したオランダと、日蘭の交流

現在のオランダ商館は、国指定史跡の「平戸和蘭商館跡」に、1639年(寛永16)建造の石造り倉庫を復元して開館した。外観や構造はオランダ、屋根など一部は日本の建築技術が使われた和洋折衷の建物だ。1階の展示室では、平戸における海外との交流史、オランダの大航海時代と東インド会社、平戸オランダ商館の歴史と役割などについて、さまざまな史料や絵図で解説している。まず目を引くのが、日蘭交流の契機となったオランダ船リーフデ号の模型。また、当時のオランダ船の船首に飾られていた手に笛と巻物を持つ2体の木像(複製)も展示されており、傷ついた姿に厳しい航海の様子がしのばれる。

豊後国(ぶんごのくに)に漂着したリーフデ号。乗員約110名のうち生存者は20数名だった} 豊後国(ぶんごのくに)に漂着したリーフデ号。乗員約110名のうち生存者は20数名だった

1602年(慶長7)にオランダで設立された東インド会社は、17世紀から18世紀にかけてアジアの海に広大な貿易網を築いた。その日本における拠点が平戸で、最盛期には10数棟の施設があったとされる。商館員はある程度自由な活動が許され、現地の人々とさまざまな交流が行われ、また外国人と日本人との恋愛や国際結婚も盛んだったという。展示室には、徳川家康が発給した朱印状(複製)をはじめ、地図や地球儀、ヨーロパやアジアとの交易品などが陳列され、大航海時代のオランダと平戸オランダ商館の繁栄ぶりをうかがい知ることができる。

さまざまな史料や絵図、映像などを通して、海外交流の歴史をひもとき後世に伝える} さまざまな史料や絵図、映像などを通して、海外交流の歴史をひもとき後世に伝える

平戸オランダ商館の終焉と海外へ渡った女性たち

1637年(寛永14)、キリシタン弾圧に対する「島原の乱」が勃発する。キリスト教が幕藩体制を揺るがす元凶となりかねないと考えた幕府は、その2年後にスペイン・ポルトガル人を日本から追放。この影響は平戸のオランダ商館にも及び、完成したばかりの石造り倉庫にキリスト生誕を紀元とする西暦年号が記されていたことを理由に破壊命令が出される。そして1641年(寛永18)、ついにオランダ商館は長崎出島への移転を命じられた。

商館の近くに今も残るオランダ井戸。大小2つの石枠を組み合わせて造られている} 商館の近くに今も残るオランダ井戸。大小2つの石枠を組み合わせて造られている

オランダ商館の近くには、当時の様子を知ることのできる遺構が今も残されている。オランダ井戸は方形に築かれた珍しいもので、西洋のレンガブロック積みを応用したものと考えられる。その先にあるオランダ塀は、商館の大増築が行われた1618年(元和4)に築かれた。また平戸港交流広場の一角に立つ「ジャガタラ娘像」は、当時の悲しい歴史をしのんで作られたもの。1639年(寛永16)、在留外国人に嫁いだ日本人女性とその子女は、幕府の命によりジャガタラ(現在のジャカルタ)に追放された。娘たちが望郷の念をつづって故郷に送った手紙は「ジャガタラ文」と呼ばれ、平戸オランダ商館で見ることができる。

日本をしのぶ「ジャガタラ娘像」。約30名の婦女子が国外追放になった} 日本をしのぶ「ジャガタラ娘像」。約30名の婦女子が国外追放になった

平戸オランダ商館に展示されている、「こしょろ」という女性が送ったジャガタラ文} 平戸オランダ商館に展示されている、「こしょろ」という女性が送ったジャガタラ文

スポット詳細

住所
長崎県平戸市大久保町2477 map map 地図
エリア
平戸エリア
電話番号
0950260636
時間
8:30-17:30
休業日
6月第3火水木
料金
【入館料】
[大人]310円
[子ども]210円
駐車場
なし
クレジットカード
可(VISA、MasterCard)
電子マネー/スマートフォン決済
可(Suica、PASMO、QUICPay、iD、Apple Pay、PayPay、ALIPAY)
Wi-Fi
なし
コンセント口
なし
喫煙
不可
滞在目安時間
30-60分

情報提供: ナビタイムジャパン

クチコミ

  • 復元されたオランダ商館
    5.0 投稿日 : 2022.07.24
    復元されて、往時をしのぶことができる商館内、展示もわかりやすく江戸以前の商館の役目を知ることができてびっくりしました。おみやげにオランダのお菓子を買ってしまいました
  • 平戸/長崎県平戸市[ウォーキング]平戸港交流広場〜オランダ塀〜オランダ埠頭〜オランダ商館〜オランダ商館通り〜寺院と教会の見える風景
    4.0 投稿日 : 2022.05.08
    その先がオランダ商館だ。1639年に建設された日本で初めての西洋の石造建造物で、2011年に復元された。砂岩板石群は2006年の石垣復元工事の際に出土した大型の砂岩板石群だ。1641年に長崎出島に移転するまで、平戸が唯一のオランダ貿易港として賑わっていた。しかしキリスト生誕にちなむ西暦の年号が示されているとして、当時の禁教令の下、1640年に全ての建物の破壊が命じられた。中に入る。撮影OKなのがう...
  • 大航海時の建物
    3.0 投稿日 : 2022.03.19
    オランダと平戸の歴史が分かる場所です。島原の乱のおかげで取り壊されたのも寂しい歴史ですね。入場料は310円。2時間無料駐車場が離れているので天気が悪い時は辛いですね。歩道という歩道もなく車に跳ねられないようにしましょう。

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アクセス

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