長崎

壱岐・対馬

IKI / TSUSHIMA

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エリアの見どころ

  • spot 01
    一支国博物館
    古代、国際交流の拠点だった「一支国」の歴史に触れる
    3世紀の中国の正史『三国志』魏書東夷伝倭人条(ぎしょとういでんわじんのじょう)、いわゆる『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』に名がある30の国のうち、国の位置と王都の場所が特定されている国内で唯一の場所「一支国(いきこく)」。その歴史を伝える博物館を訪ねる。
    原の辻遺跡から出土した「人面石」。先祖の霊を鎮めるために使われたとされる
  • spot 02
    猿岩
    「八本柱」のひとつ猿岩は何を見つめ、何を考えているのか
    島の西にある湯ノ本温泉を過ぎて黒崎半島を進むと、唐突に左横を向いた猿が現れる。「猿岩」と呼ばれる奇岩で45mほどの高さがある。岩全体が猿の上半身となっていて、岩の盛り上がり方や木やコケの緑の広がり具合が絶妙に猿の横顔を浮かび上がらせている。その目はどこか遠くを見つめていて、口元はきゅっと結ばれているように見える。凛々しくもあり、ちょっと寂しげでもある。眺める角度によっても、その表情は微妙に変化してくる。見る側の心情によっても、その表情の見え方は違ってくるのかもしれない。壱岐にはさまざまな奇岩の風景が点在する。『古事記』の国生み神話で、壱岐は5番目に生まれる島として登場するが「八本柱」という伝説も残っている。神が島の周囲に8本の柱を立てて綱でつないだという伝説で、猿岩はそのなかで最も大きな「八本柱」のひとつとされている。その伝説を知ると、猿岩の表情は哲学的にも見えてくる。太陽の光の高さや天気によっても、たたずまいの異なる猿岩。夕暮れのシルエットもなかなか印象的だ。
    やや顔を上げ遠くを眺めているような姿の猿岩
  • spot 03
    住吉神社
    うっそうと古木の茂る神社で奉納される壱岐神楽
    島のほぼ中央、国道382号線から横道を下りていくと、独特な雰囲気に包まれた木立が現れる。歴史が刻まれた鳥居、神が宿っているような古木の数々を眺めていると、遠い昔へと誘われているかのような気になる。
    歴史の重みを感じさせる住吉神社の鳥居
  • spot 04
    和多都美神社
    静かな入り江の海中に鳥居の立つ風景が印象的な古社
    対馬の中心街、厳原(いづはら)の町から車で1時間弱、国道382号線を北上し、豊玉町で仁位浅芽(にいあそう)湾に下ると、入り江の海のなかに2つの鳥居が並ぶ光景が現れた。その奥には伝説に彩られた古社が鎮座していた。
    風光明媚な風景のなかに和多都美神社の鳥居は現れる
  • spot 05
    烏帽子岳展望台
    対馬の真ん中で360度の絶景をぐるりと見渡せる展望台
    浅茅(あそう)湾の北側にある標高176mの烏帽子岳の山頂近くにある展望台からは、対馬の入り組んだ複雑な地形を見渡すことができる。島の面積の約90%が山林といわれる対馬の大自然も圧巻だ。
    烏帽子岳展望台からの眺めは対馬の地形の複雑さを教えてくれる
  • spot 06
    原の辻一支国王都復元公園
    長崎県第2の平野に再現された一支国の中心都市風景のなかを歩く
    一支国博物館から車で5分弱。博物館の立つ丘を下りて広々とした平野に出ると、太古の建物群が見えてくる。一支国の名前で「魏志倭人伝」に登場する壱岐の王都「原(はる)の辻」を復元した公園だ。
    公園内でいちばん目立つ物見櫓(やぐら)の建物。通常は上がることはできない
  • spot 07
    一支国博物館ミュージアムショップ
    いちばん人気はインパクトの大きな博物館限定「人面石クッキー」
    一支国(いきこく)博物館1階のミュージアムショップにはさまざまな土産品が並ぶ。なかでもいちばんの人気となっているのが、一支国博物館オリジナル限定焼き菓子「人面石クッキー」だ。一支国の王都「原(はる)の辻」で出土した「人面石」は弥生時代、先祖の霊を鎮めるために使われたと考えられている。「人面石」は目が半分まで彫りこまれ、口は裏まで穴が貫通していて、目の間には鼻が小さく盛り上がっている。その表情は画家のムンクが描いた『叫び』に似ているとされ、見た目のインパクトは大きい。実際の大きさは縦約10cm、横約7cmの大きさだが、クッキーもほぼ原寸大で焼き上げている。箱入り(770円ほか)のほかに1個(150円)からも購入は可能。原の辻産の古代米など壱岐ではぐくまれた原料を使用した素朴なバター味のほかに塩味も登場している。人面石をモチーフにしたものではぬいぐるみなどもある。そのほか、壱岐の歴史や自然、人物など多角的な分野でまとめた各種図録や福岡県在住のフランス人が壱岐の魅力をテーマにイラストを描いたTシャツなど土産品は多彩。どれにしようか迷ってしまいそうだ。
    壱岐の「鬼凧」なども店の奥に飾られ販売されている
  • spot 08
    月讀神社
    神秘的なパワースポットとしても知られる古神道発祥の地
    県道174号線のすぐ横に月讀(つきよみ)神社の鳥居は立つ。森に囲まれた急な石段を上がると、周りの空気が少し変わったように感じられた。車の行き交う道路が近くにあるにもかかわらず、境内は静寂に包まれ、おごそかな雰囲気も漂っている。月讀神社が創建された年は不明だが、5世紀後半、壱岐の県主(あがたぬし。地方の首長)の押見宿禰(おしみのすくね)が京都に月讀神社を分霊させたと伝えられていて、その頃には存在していたことがわかっている。押見宿禰により古神道が日本に根づいたとされ、月讀神社は古神道発祥の地といわれる。古神道とは仏教などほかの宗教の影響を受けていない神道のことだ。『古事記』によると、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉(よみ)の国から帰ったとき、みそぎ払いをして、左の目を洗ったときに天照大神(あまてらすおおみかみ)、右の目を洗ったときに月読命(つきよみのみこと)、鼻を洗ったときに須佐之男命(すさのおのみこと)が生まれた。月讀神社の御祭神は月夜見命(つきよみのみこと)、月弓命(つきゆみのみこと)、月読命の三柱。壱岐の月讀神社は、伊勢神宮をはじめ全国に点在する月讀神社の総本社とされている。
    山の急斜面の石段の先に質素な社殿が見える
  • spot 09
    小島神社
    潮が引いたときだけ参拝できる壱岐のモン・サン・ミシェル
    島の東部に開けた内海(うちめ)湾は、弥生時代、大陸や九州本土からの船が往来する大和の玄関口だったとされる。その湾の片隅に浮かぶ小島は干潮時にのみ参詣できる神社が鎮座するパワースポットとして知られる。
    内海湾に現れた、島へ渡ることのできる参詣の道
  • spot 10
    はらほげ地蔵
    地元の人が守る誰がいつ安置したのかわからない六地蔵
    「明日が供養の日だからね、きれいにしてあげてるの」ぼろぼろになったお地蔵さんの赤い前掛けを新品のものに着せ替えながら、おばあさんたちがそう教えてくれた。島東部、八幡浦の海に祀られている6体の地蔵は「はらほげ地蔵」と呼ばれている。満潮時には胸の辺りまで海中に沈む地蔵は、誰がいつ安置したのか不明。もともと安置場所も別の場所の海中だったという。お腹の部分に丸い穴があることから「はらほげ地蔵」と呼ばれるが、実際に穴があるのはもう少し上、前掛けに隠れた胸の部分だった。干潮時、ここにお供え物を入れ、潮が満ちてそれが海へ運ばれるとき、祈りを捧げたと伝えられている。安置された理由は、遭難した海女の冥福を祈るため、捕獲したクジラを供養するためなど、いろいろ考えられているが、こちらもはっきりしたことはわからない。現在でも、春と秋の彼岸明け、お盆、そして旧暦10月24日に地元の人たちによる供養が行われる。訪ねたのは旧暦10月24日の前日。お地蔵さんの着替えという貴重な姿を見ることができたのは幸運だった。
    6体あるお地蔵さんたちはみんな陸のほうを向いている
  • spot 11
    壱岐イルカパーク&リゾート
    イルカたちとのコミュニケーションを楽しめるリゾート
    島最北部、勝本港からさらに先にある入り江は、隠れ里のようにひっそりしている。ここに棲んでいるのは4頭のイルカ。外海とは網で仕切られた天然のプールを泳ぐイルカたちは、ほかの魚と共存しながらのびのびと生活している。かつてこの入り江では、漁師の生活を守るためイルカの追い込み漁が行われていた。だがその後、イルカと共存する道が探られ壱岐市がイルカパークを設立。経営難になっていたところ、2018年(平成30)より民間と連携して、現在の壱岐イルカパーク&リゾートとなった。同施設では、いわゆるイルカショーは行わない。イルカが心身ともに健康に生活するために必要なトレーニングを見学してもらう。イルカをコントロールするのではなく、コミュニケーションをとるというのが第一のモットーだ。イルカと触れ合えるなどのプログラムがあるが、あくまでも主役はイルカ。イルカが気乗りしないときは何かを強要することはない。まだ試行錯誤も重ねながら、イルカとのコミュニケーションをとっているところだが、今後はさらに相互理解の可能性を探っていく。イルカとともに成長していくという、これから主流となる時代を先取りした施設が、壱岐イルカパーク&リゾートだ。
    毎日5回、イルカのトレーニングタイムは無料で見学できる
  • spot 12
    壱岐牛・和牛弦
    コクがあってキレもある脂質、壱岐牛の絶品ランチを満喫
    壱岐牛のロースと赤身を堪能できる「壱岐牛ランチ」(3300円)は、壱岐牛との出合いには最適なメニューだ。壱岐では、潮風によってミネラルを豊富に含んだ牧草が育ち、それを食べてきた壱岐牛は肉質がやわらかく、脂質は融点が低く、コクがあり、キレもあるという特徴をもっている。ロースの脂は甘みが強く、味が濃いのに、全然重たくはない。さらに赤身は肉質がしっとりとしていてパサつきがなく、こちらも味が濃厚だ。塩で味わい、続いてタレでも味わったが、タレに負けない風味の力強さに驚いた。食べれば食べるほど、さらにもっと食べたくなるのが壱岐牛の魅力だと納得した。壱岐牛は年間900頭しか出荷されない希少な和牛。1000年以上前から味には定評があり、鎌倉時代の文献にもその味を称賛した文章が出ているという。もちろん、壱岐牛は決して安い牛肉ではない。「壱岐牛・和牛弦」は店長をはじめ、肉のプロたちが壱岐牛の魅力をリーズナブルに伝えるために2019年(令和元)にオープンした店。ゆっくりと歴史のある壱岐牛の真髄を満喫したい。
    ランチメニューの時間は11:30-14:00。ご飯のおかわりは無料だ
  • spot 13
    筒城浜
    全長およそ600m!エメラルドグリーンの海が広がるビーチ
    数々の砂浜が点在する壱岐。なかでも、島の南東部の筒城浜は島随一のすばらしさで「白砂青松(はくさせいしょう)」の名所と呼ばれる。この浜辺は「日本の渚100選」「日本の快水浴場百選」にも選ばれている。
    誰もいない砂浜に静かに波が寄せている筒城浜海水浴場
  • spot 14
    対馬野生生物保護センター
    希少な野生動物ツシマヤマネコの凛々しい姿と感激の対面
    日本には野生のネコ科動物が2種類いる。対馬島にのみ生息するツシマヤマネコと西表島にだけいるイリオモテヤマネコだ。生息数が減少している希少動物ツシマヤマネコに出合うことができた。
    一般公開されているツシマヤマネコの「かなた」君
  • spot 15
    異国の見える丘展望台
    水平線のかなた50km先に釜山の町を眺められる展望台
    対馬から朝鮮半島までの距離はおよそ50km。対馬の北部には、異国の見えるスポットがいくつか点在している。中心の町、厳原(いづはら)を拠点とすると、対馬北部への旅は一日がかりになると考えたほうが確実だ。島の最も北にあり、最も知られている展望スポットは韓国展望所だろう。厳原から国道382号線を車で走って韓国展望所までは2時間弱。異国の見える丘展望台は韓国展望所の手前にある。車での所要時間は30分ほど短くなるので、時間がない場合はこちらに立ち寄ってみるのも一案だ。標高287mの千俵蒔山(せんびょうまきやま)を周回する農道の先に異国の見える丘展望台はあり、朝鮮海峡の海に突き出るような形をしている。目の前には青々とした海が広がり、一直線に水平線が続いている。その向こうに韓国の釜山の町が広がっているのだが、うっすらと雲がかかっていて建物群は見えなかった。双眼鏡などを用意しておけばよかったと後悔した。夜は町の明かりや漁火が見られるという。釜山は見えなかったが、対馬の果ての国境に来たという実感は湧いてきた。ただ海を眺めているだけでも、すがすがしい気分になってくるはずだ。
    せり出した展望台に立つとよりダイナミックな海の景色を満喫できる
  • spot 16
    厳原城下町めぐり
    国境の島の中心地で波乱に富んだ島の歴史に触れつつ町歩き
    博多から航路で約130km離れているのに対し、韓国とは約50kmという近さの対馬は、国境の島として、激動の歴史を歩んできた。その歴史を簡単に振り返りながら、中心の町、厳原(いづはら)を散策する。
    中世末から宗氏の居館が置かれていた金石城跡の櫓(やぐら)
  • spot 17
    万関橋
    対馬を南北に分ける運河に架かる真っ赤な鉄橋
    車を走らせていると、突然、目の前に真っ赤な橋が見えてくる。手前にある駐車場に車を止めて歩いて橋を渡り始めると、深い運河の上に橋が架かっているのがわかり、入り江や港の風景が眼下に広がった。この万関橋は、対馬の中心の町、厳原(いづはら)から車で30分弱。上島と呼ばれる対馬北部の島と下島という南部の島を結んでいる。橋の下の万関瀬戸という運河は、1901年(明治34)、旧大日本帝国海軍により開削された。運河は久須保水道とも呼ばれる。この運河に架けられた万関橋は、現在3代目。1996年(平成8)に架け替えられた。長さは約210m、水面からの高さは潮の干満で変わるものの、だいたい25m。橋の上から見下ろすと、結構な高さに感じられる。旧海軍がここを開削したのは、浅茅湾内の拠点から佐世保までの所要時間を短縮するため。当時は幅約25m、深さ約3mだったとされる。当時はロシアの南下政策により戦争の機運が高まっていた。1905年(明治38)、日露戦争の日本海海戦時には、水雷艇がここを通って出撃したといわれていたが、最近の調査では拡幅工事のため運河を通行できず、南部を迂回して出撃したとされている。1975年(昭和50)には、運河は幅約40m、深さ4.5mに拡張されている。
    鮮やかな赤色が目立つ万関橋。周囲の風景にもよく映える
  • spot 18
    観光情報館 ふれあい処つしま 特産品の間
    銘菓からツシマヤマネコグッズまで、対馬のお土産が勢ぞろい
    対馬の中心部、厳原(いづはら)町の真ん中に、歴史的な和風建築の「観光情報館 ふれあい処つしま」は立っている。観光案内所などが集まっていて、旅の情報収集のために、まず訪ねたいスポットだ。「特産品の間」はその名前のとおり、対馬の特産品、土産品などがずらりと並んでいて圧巻だ。壱岐や対馬の定番「かすまき」はいろいろな会社の製品があり、迷ってしまう。江戸時代、参勤交代から帰ってきた藩主の無事を喜び、長旅の疲れを癒やすために考案されたといわれるこの銘菓は、カステラ生地でたっぷりの餡を巻いている形から「かすまき」と呼ばれるようになった。店員の方によると、壱岐はカステラ生地が薄く、対馬は厚いという。会社によっても味は異なる。いくつか食べ比べてみるのも楽しそうだ。おすすめの商品は多いが、対馬の味が家に帰っても再現できる冷凍食品は最近人気となっている。もちろん、地方発送も可能だ。甘辛ダレに豚肉を浸けた「とんちゃん」は対馬を代表するご当地グルメで、一人前から数社の商品がそろう。「甘鯛開き」など旬の魚介類もあり、対馬の海の幸も家で味わえる。旅の初めだけではなく、帰る直前にも立ち寄りたいスポットだ。
    多数の商品が並ぶ「特産品の間」。ほかに歴史を解説した「観光の間」などが周囲にある
  • spot 19
    三益寿司
    壱岐の新鮮な海の幸を豪快にいただくぜいたくなひととき
    荒々しい玄界灘と穏やかな入り江に恵まれた壱岐は海の幸の宝庫として知られる。その代表格は春から秋にかけてが旬のウニだが、そのほかにも多彩な魚介類を年中楽しめる。ぜいたくで豪快な海鮮丼を堪能した。
    ネタが丼からはみ出るほどの豪快さがたまらない「壱岐海鮮丼」(3300円~)
  • spot 20
    つしま亭さと
    漁獲量日本一! 対馬産天然穴子を絶景を眺めながら
    万関橋のすぐ近くに店を構える「つしま亭さと」からは、久須保浦の海を眺められる。多彩なメニューを取りそろえるなか、特に他県の人たちから人気を集めているのが、対馬産の天然穴子を使った料理だ。
    穴子がたっぷりと入った「あなごとじ丼」
  • spot 21
    味処千両
    地元の魚と野菜を郷土鍋「いり焼き」でたっぷりと味わう
    対馬を代表する郷土料理のひとつ「いり焼き」は、季節の魚を地元の野菜とともに味わう鍋料理。材料となる魚(鶏肉の場合も)を椿油で炒ってから料理していたため「いり焼き」と名付けられたといわれている。1985年(昭和60)創業の「味処千両」の「いり焼き」(1人前2750円。2人前からの提供)は、たっぷりの具材が特徴で、大きく切られたマダイが1匹分鍋に入っていた。あらかじめマダイの煮込まれた大きな鍋が運ばれ、そこに椎茸や玉ねぎ、ゴボウに白菜などを入れながら楽しむ鍋は、やや甘めの醤油ベースの味付け。マダイのあっさりとしたうまみを心ゆくまで満喫できる。結構なボリュームなのだが、気がつけばすっかり完食していた。これも絶妙なスープの味わいのおかげなのだろう。また特に椎茸などの地元野菜も絶品で、「いり焼き」の味に深みを演出している。季節により、魚はメジナやハタ、クエなど旬のものが選ばれる。「味処千両」には、熱した石の上で魚介を焼いて食べる「石焼き」、豚の肩ロースを特製ダレで仕上げた「上対馬とんちゃん」などほかの対馬グルメをはじめ、寿司や中華、イタリアンなど、驚くほど幅広いメニューが用意されている。
    取り分けた「いり焼き」。地元のそばも一緒に味わう
  • spot 22
    黒崎砲台跡
    壱岐のもう1つの歴史を語り継ぐ戦争遺産
    コバルトブルーの砂浜や珍しい自然景観、古代からの日本史関連遺跡など、壱岐の見どころはさまざまだが、猿岩のすぐ近くには近代史の一面である戦争に関わる遺跡が残っている。猿岩の売店裏の道を少し上がると現れるのが、柵に囲まれた直径約10mの巨大な穴。長さ約18m、口径約40cmの東洋一の大きさといわれた黒崎砲台の跡だ。第一次世界大戦後、世界は一時軍縮へと向かうが、日本は国土の要塞化を目指すこととなる。1924年(大正13)、壱岐は全島が要塞地帯とされ、1928年(昭和3)から黒崎砲台の建設が始まった。対馬海峡を通過する敵艦船を攻撃するために設置されたもので、戦艦土佐の主砲が据えられた。その弾丸の重さは約1t、射程距離は35kmに及んだ。黒崎砲台は約6年をかけて完成したものの、1度だけ試射が行われたのみで、第二次世界大戦敗戦まで、実戦で使われることはなかった。1950年(昭和25)、アメリカ軍の司令により黒崎砲台は解体撤去された。当時の写真などは、猿岩の売店で見ることができる。
    砲台跡は穴の深さも約10mはあるかと思われる
  • spot 23
    岳ノ辻展望台
    標高212.9m、島の最高峰から壱岐を眺める
    壱岐で最も大きな町、郷ノ浦から車で10分ほどで到着する岳ノ辻(たけのつじ)は、標高212.9mではあるが壱岐の最高峰。岳ノ辻には展望台が3か所ある。東側駐車場から石段を上がり、東側展望広場に出た。簡素なあずまやがあるだけの広場からは、原(はる)の辻遺跡がある深江田原(ふかえたばる)平野や空港のある東の方角を眺められる。入り江が入り組んだ海岸線と内陸の緑のコントラストは印象的な風景で、島が豊かな自然に恵まれていることを物語っている。案内板を見ると、中央展望台と西側展望デッキがあることが示されていた。中央展望台の方向にはテレビ局と思われるアンテナがそびえている。途中はピクニック広場になっている。中央展望台には木造りの大きな展望台が設けられていて、島の中央部や郷ノ浦方面が眺められた。西側展望デッキに続く道は森のなかを下る遊歩道で、10分弱歩くと広い駐車場に出た。その一角に展望スペースがあり、郷ノ浦の町が眼下に見える。ちょうどフェリーが港へ入ってくるところだった。沖合いに浮かぶ小島もいくつか眺められる。変化に富んだ壱岐の景色を一度に楽しめる岳ノ辻展望台は、ぜひ立ち寄りたいスポットのひとつだ。
    西側展望デッキから眺めた郷ノ浦の港。ちょうどフェリーが入ってきた
  • spot 24
    日本最北西端の碑
    韓国の釜山が眺められるもうひとつの穴場スポット
    韓国展望所、異国の見える丘展望台など、朝鮮半島を望むスポットはいくつか対馬北部に点在しているが、穴場的なスポットといえるのが棹崎(さおざき)公園。ここには日本最北西端の碑が立っている。棹崎公園は72万平方メートルを超える広大な公園で、ツシマヤマネコのいる対馬野生生物保護センターも公園内にある。駐車場からゆるやかな傾斜の丘を歩く。訪ねたのは冬場だったが、木々が多く、緑豊かな公園であることがわかる。途中にはツバキ園地という場所もあった。10分弱歩くと、ようやく視界が開けた。赤い灯台が目に飛び込んできて、その向こうに青い海が広がっている。その色のコントラストは印象的だった。灯台に向かって歩いていくと、だ円を半分にしたような日本最北西端の碑が見えてきた。碑の背景に海が広がる風景は棹崎公園ならではだろう。ここからも韓国の釜山までの距離はおよそ50km。晴天であれば町並みが見えるはずだが、海の向こうはやや霞んでいた。周囲の木々を見ると、おもしろいくらいに枝が横に流されている。風の強さがよくわかった。訪ねたときも、やや強い海風が吹いていた。眼下の海を行くボートがずいぶん悠然と進んでいるように見えた。
    公園の海沿いにある石造りの日本最北西端の碑
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